こちらのページでは、協会会員がアンケート形式で思い出を集めたものや、インターネット上に載っていた興味深いブログより、いくつか抜粋してご紹介します。飴細工は溶けて無くなってしまっても、誰かの心の中に生き続けている”飴細工の思い出”を紹介します。

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「飴細工の思い出」と、「懐かしの飴細工写真」を探しています!

飴細工の思い出 ”アンケートより”

2022.8.23 女性 49歳

京都、桂(街中)で、子供の頃におじいちゃんが自転車の荷台で、うさぎ、りゅうなどの飴細工を作っていました。あめの味がおいしくて、最後にはもう丸でええか?と丸のままの飴を安くしてくれました。


2022.7.24 40代

大阪市東淀川区1987年頃の神社の夏祭り。おじさんが夜店で 馬、蛇、白鳥、鶴、虎、うさぎ、ネズミなど800円~1000円 くらいで売ってました。
おじいちゃんとおばあちゃんとお祭りに行ってわたあめを買って貰うのが嬉しかった小さい頃に、初めて見た飴細工は魔法をみているようでわくわくしました。子供だったので『龍作ってほしい』が言えなくて作ってある中から白鳥を買いました


2022.7.24 40代

大阪市北区の小学校の近くや、1990年頃中学校の近くに、おじいちゃんが自転車で木箱をもって座って作ってた。ペガサス、龍、うさぎ たぶん400円~600円くらいで売ってました。
土曜日に小学校から帰って遊びに行くと、いつもなかったお店がぽつんとあって、近付いてみると飴細工のお店でした。おじいちゃんは「買っていくかい?」ってきいてくれたけど、小学生のおこづかいでは高くて買えなかった淋しい思い出があります。でも沢山みていっていいからねって言って貰えて細工の細かい龍をずっと眺めていました。


2022.8.12 40代

東京足立区の自宅のすぐそばの路上で見ました。 1970年代に半年に1度のペースで屋台の飴細工屋のおじさんが来てくれていました。 "自転車に熱い箱に入った飴のかたまりと、ヨーグルトのガラス瓶に入った赤、青、黄色、黒の食紅インク、釘に絵筆を挿してきていました。とても面白い方で、いつも子供たちとおしゃべりしながら色々な飴を作ってくれました。
熱い飴を素手で取って丸める手さばきを良く覚えています。
50円のおしゃぶり→白いまま丸めたものオバケのQ太郎のOちゃんの様な形でした。
100円→緑のウグイス、ピンクのスズメなど鳥が多かった記憶です。
規制が入る迄は竹のようなストローに挿して膨らましてくれて透けてとても綺麗でした。それ以上、十二支や猫など。犬はいつも手毬を持っていたと思います。龍などは高くて買えませんでしたが、だれかが頼むと皆んな興奮して見てました。 年に2度しか会えないので、来てくれた時は大勢の子供たちがお小遣いを握りしめて 何を頼もうかドキドキしながら何時間もずっと作っている様子を取り囲んで眺めていました。 皆んな飴屋さんが大好きでした。膨らました飴は綺麗でパリパリしていて見ても食べても美味しく、後に衛生上それが出来なくなってしまってとても残念に思っていたのを覚えています。飴に色付けしたり、糸切りバサミで切りながら細かい部分をあっという間に作っていく様は本当に神の手の様でした。


2023.11.08 男性 78歳

大阪の布施、本通商店街の四つ辻 1950年代、小学生時代に週一回 おいちゃんが自転車に木箱を乗せてきてた。
不衛生極まりなくて気にして買わせない親もいた。1日5円のお小遣いで、金持ちの子は10円とか、駄菓子は買わせなかったり‥。飴は5円くらいで、使い切ってもずーーと見ていて「どっかいけー」って怒られた。

飴細工の思い出 ”ブログ(インターネットより)”

※こちらの転載は、著作権に基づき承諾の上で掲載しております。

「学校の下校時」飴細工のおじさんの思い出 | 遊び文化保存計画

katsuさん
兵庫県 1951年生まれ 男性

学校の下校時に校門を出て塀ぞいに少し歩いて行くと、飴細工のおじさんがいました。
自転車の荷台には飴で作った金魚、うさぎ、カメ、等が棒に刺して並べて有る箱を乗せていました。
箱の引き出しには色々な品物が入ってました。リクエストによっては何でも作るよとおじさんが子供達に講釈して売ってました。
生意気な子が多分おじさんには出来ないだろうと思い「龍」を注文しました。
おじさんもちょと難しいそうな顔してましたが、早速一塊の飴を出しバーナーで炙りながら火鉢みたいので引っ張ったり曲げたりして形にして行きました。
龍の顔は難しいそうで細かい作業をしていましたが最後に髭を作って完成しました。注文した子に棒を刺して渡しました。
僕は小遣いを余り持って無かったので、薄い板状を舐めて動物の形を抜き出させる飴と水飴を買いました。
水飴は硬い透明な飴状な物が二本の箸に巻いてあるだけの飴です。
それを何回も何回も捏ね回していくと、少しずつ柔らかくて美味しい飴に生まれ代わります。それを舐めながら家に帰りました。


思い出
ニックネーム:duddyfool 様

生年月日: 1959年生まれ 東京都江戸川区
第7話 神社に出没する商売のおじさん達

2011年 2月26日

まずドブ活の場所を思い出そうとしてgoogle-mapを見ていたら、天祖神社が目についた、そうだ!神社で体験した思い出があるではないか!急遽このネタで思い出話を書いてみます。
 
 興宮神社(おきのみやじんじゃ)や天祖神社(てんそじんじゃ)は、僕ら子供達の恰好の遊び場である。そこへ子供相手の商売人達がいろいろ来ていたのを覚えている。
昭和37年(1962年)頃には自転車でやってくる紙芝居のおじさん。確かソースせんべいとか、あんずジャムとかの駄菓子を買うと紙芝居をみせてくれた。黄金バットを夢中で見ていた記憶がある。
昭和37年以降になると私の記憶もかなりあって、飴職人と型(かた)の思い出である。
まず飴職人のおじさん。このおじさんも自転車でやってくる。荷台には大きな木箱を積んでいて、そこには飴をつくる材料や道具がコンパクトに収まっている。
飴職人のおじさんが自転車を止めて木箱の蓋を開けると、子供たちが沢山寄ってくる。これから始まるおじさんの飴細工を見たいからだ。木箱には暖かい鍋が入っており鍋の蓋をあけて、
一本のわりばしの先に暖かく柔らかいあめをくるくると巻きとってゆく。細かく素早い馴れた指先で白鳥の体をあっと言う間に作ってしまった。そして翼の部分を飴で付け足して平たく伸ばしたかと思うと、次の瞬間には裁縫のはさみを取り出してつばさの部分にちょきちょき細かく切り込みを入れた。見事な羽の模様を表現している。最後の仕上げで、その白い白鳥に小筆を使って赤や黄色の着色を行って完成だ。その間、約20~30秒あまりの早技である。見ている子供達はあまりの見事さに拍手をする。でもこの飴を買う人は滅多にいない。きっと高値がついているからだ。その白鳥は木箱の小さな穴に差し込まれて置かれた。それから飴おじさんは別の作品を次々を作り出す。多くの種類があった筈だが、いかんせん私は覚えていない。確か『馬』『猫』『うさぎ』『亀』とかの動物だったと思う。
中でも笑ってしまうのは、『おなら』。今で言うストローの様に管になっている棒の先に、ただ丸く飴を付けただけのものである。これは飴おじさんが売る最も安価なもので、5円くらいなので僕等子供も買うことができる。この飴はその管の下を口にくわえて、飴がパンクしないように息を吹きかけて膨らませるのだ。へたくそな奴がやるとふくらませる途中で飴がパンクしてプシューと音をたててしぼんでしまう。
だから『おなら』と言う名が付いたのだ。(たぶん)